練習嫌いな私がピアノの先生!?ピアノ教室スタジオメロディができるまで

3番目に産まれたひとりっ子

私は子供好きの両親のもとに3番目の子供として生まれました。

3番目に生まれましたが、ひとりっ子です。

1人目はたいそう目鼻立ちの整った綺麗な男の子でしたが、
生まれて数日で亡くなりました。

2人目も男の子。産声をあげる元気もなく、亡くなりました。

当時は今ほどの医療技術もなく、栄養状態も良くなく、
残念ながら産まれてすぐに亡くなってしまったのです。

そして3番目は女の子。

元気な産声を上げ、ゴクゴクとおっぱいを飲み
それはもう、すくすくと育ったのでした。

それが私です。

「何としても、この子を育てあげたい!!」
やっと産まれ育った私への両親の期待は大きく
愛情たっぷりの4つの目は常に私に注がれました。

ある日、音楽が流れると楽しそうに体を動かしている私の姿を見て
母は「踊り」か「ピアノ」を習わせたいと思いました。

家は貧しかったけれど、ピアノをはじめることに

母曰く「踊り」はたいそうお金がかかるそうで
そんなわけでピアノを選択したようです。

今思えば、母がピアノを選んだのは大正解でした。

踊りやダンスは、太ることはNG!!!

ひとりっ子の私は兄弟で争うこともなく、
ごはんもおやつも好きなだけ食べることができたので、
縦にも横にもしっかりと育ちました。

踊りやダンスを選んでいたら大変なことになっていたかも(笑)
(後に、しっかりと育ったことが功を奏するのです。)

そして私は4歳のお誕生日にピアノをはじめました。
今で言う年少さんのころです。

その頃の幼稚園は3年保育は無く、幼稚園に通う前からピアノをはじめたことになります。

5歳のころ。やっぱり大きい(笑)

当時は(うん十年前)習い事は今ほど一般的なものではなく、
私の家も貧しかったので、とても習い事ができるような余裕はありませんでした。

でも、母がパートを必死に頑張って、寝る間を惜しんででも働いたことで
私をピアノに通わせてくれました。

私はひとりっ子。

ひとりっ子に注ぐ両親の熱い思いは
ピアノを習うということに注がれたのでした。

私は覚えていませんが、毎日のピアノの練習には父が付き添ってくれたそうです。
幼稚園に通う前の私は、きっと父が傍で見てくれているだけで嬉しかったのでしょう。
父が仕事でいない昼間の間も1人でピアノを弾いていたようです。

4歳の私は、毎日最低でも昼1時間、
夜1時間の合計2時間は練習していたようです。

仕事が忙しかったにもかかわらず
毎晩1時間の練習に付き添ってくれた父はすごい!と思います。

父と私5歳のころ

父は全く音楽のことがわかりません。もちろん楽譜も読めません。
ただただ横に座っていただけだったと思います。

毎日2時間の練習を、練習嫌いの私が覚えてないということは、
苦痛ではなかったということでしょう。

「可愛い子には旅をさせよ」という言葉がありますが、この言葉の本質は
「小さい頃の苦労は、後になっても思い出せない」から、
長い人生で考えると、とても良いこと、ということかもしれません。

4歳で毎日2時間も練習すれば、誰でもどんどん上達します。
才能なんて関係ありません。

おまけに、争うこともなく好き放題食べることができた私は
しっかりと育ち、身体も、もちろん手、指もしっかり大きくなり
速い段階からたくさんの音をつかむことができたのでした。
(縦にも横にも成長してよかったことの1つです。)

絶対怒らないピアノの先生との出会いと別れ

父のサポートと母のパートの頑張りで、なんの不自由も無く、すくすく育った私は、
絶対叱らない子供のハートを上手くとらえる賢い先生のもとでレッスンを受けることに。
「純代ちゃん、練習してきてねっ!」という甘い声の優しい先生に乗せられて練習に励んだのでした(笑)

バイエル(ピアノ教則本)はどんどん進み、バイエル以外のたくさんの本も練習しました。
「こどものバッハ」「こどものモーツアルト」「こどものハイドン」
「こどものベートーヴェン」「メトードローズ」「ピアノのABC」「ラジリテー」「ツエルニー」等々

そして9歳のころには「ソナタ」「インベンション」「ツエルニー40番」を弾くくらいにまで進んだのでした。

ピアノに関わったことのない方にはなかなか馴染みのない教則本と思いますが
これほどの量の教則本をこなすのには、ごく普通に毎日1時間の練習を積み重ねたとしても
10年以上はかかるであろう曲数です。

が、今思えばここからが人生の分かれ目でした。

甘い声の優しい先生は結婚して鹿児島に(涙)

そして私のピアノの先生は大阪帝塚山の大きな塀に囲まれた豪邸に住む
故山田康子先生と、家の近くの先生(山田先生のお弟子さん)の二人の先生に習うことになったのです。

音楽の道はいばらの道!?

山田康子先生(山田先生と呼ぶことにします)は、大阪教育大学、相愛大学、
大阪芸術大学といった関西で名だたる音楽大学の教授というものすごい先生でした。

同時に相愛子供の音楽教室にも通うことになりました。

相愛子供の音楽教室では主にピアノを弾くこと以外のスキルを学びました。
水泳選手が泳いでばかりではなくて、筋トレも欠かさないといったようなものです。

相愛子供の音楽教室では、ピアノから流れたメロディを聴いて五線譜に書き起こしたり
同時にいくつもの音がなる(和音)のを聞き分けたり、初めてみる楽譜のメロディを歌ったり(初見)、

もちろんピアノを弾く試験もありました。

私は知らず知らずのうちに音楽への道へと歩みを始めることになったのです。

9歳から何の準備もなく、いきなり相愛子供の音楽教室の門をくぐった私は
ものすごい光景を目の当たりにしたのです。

私より明らかに小さな幼稚園くらいの子が、同時に5つくらい鳴るピアノの音を聴き分けたり
私より小さい子が(歳は同じでも栄養状態の良い私は大きかった)
ハノン(全く楽しくない指の練習)やスケール(音階。全部で24あり、音楽の基礎となります)
を小さな手で、ものすごいスピードで弾いたり、それはもうとてつもないカルチャーショックでした。

おまけにテレビに出てる?みたいな派手なワンピース姿のママが付き添うという皆さんお金持ち。
ちなみに私の母はパートで忙しく、私はひとり、電車で40分くらいの道のりを毎週通ったのでした。

母と私9歳のころ

ピアノの山田先生はとても素晴らしい先生でしたが、非常に怖かった。
山田先生のレッスンは月に1回。
家の近くのお弟子さんの先生に週1回習うというレッスンスタイルでした。

レッスンに行くたびに叱られ、
何でこんなことも出来ないの!もっと練習しなさい!と激!

あああぁぁ~

これはなんということだ?
今まで褒めておだてられてピアノを楽しくやってきたのに
それにあんな小さい子がすごいピアノを弾く!!!
私にはちんぷんかんぷんのいっぱいの音が聴き分けられる?

もう、私なんてダメだぁ~全然面白くない・・・・・

当時の私には、それでも頑張る!といった気力も情熱もありませんでした。

幸か不幸か、私より小さいと思ってた子は、実は私より年上だったのに
なまじ、体格の良かった私には、みんな年下にみえたのでした。

この時点であきらめずに、なにくそ!と頑張りを見せたら
また、人生は大きく変わっていたかも。

今から思えば、山田先生のレッスンが厳しいのも、相愛子供の音楽教室に通う
生徒さんの質が高いのも、至極当然のこと。
音楽を、ピアノを目指すなら厳しくて当たり前。
甘っちょろい気持ちではついていけません!

が、

甘っちょろい気持ちを持ったまま
それでも中途半端に頑張りをみせた私は
ピアノは面白くな~い・・・のまま音楽大学を受験するべく準備をはじめるのでした。

お金のかかる音大へ

貧しかったので、音大受験のために母は毎日パートをがんばりました。
踊りやダンスと比べて安いとはいえ、ピアノも今では考えられないくらい高価な習い事です。
ましてや音大受験となるとかなりのお金が必要です。

高校生のころです。

ピアノの練習は全く面白くない。
何のために練習するのか。
受験のため?
音大に行って何をするのか?
私にはピアノの才能なんてかけらもないのに・・・

そんな思いをもったまま、高校生の私は
今日は声楽のレッスン、明日は楽典(音楽理論)、次の日は(聴音・音の聴き取り)
また次の日はピアノのレッスン、
もちろん家でのピアノ練習・・・・・
毎日学校の帰りに、電車を乗り継ぎ、あちこちの先生のお宅に通ったのでした。
クラブなどできる時間も心の余裕もなく高校生活は面白くも何もなくただ過ぎていきました。

両親があちこちの先生に習わせてくれた甲斐もあり、
なんとか大阪芸術大学へ入学することができました。

そんな両親のがんばりをよそに練習嫌いはそのまま。
ピアノも大学卒業したらやめようかなぁ~
なんて、親不孝なことも考えたりしました。

そんな中途半端な気持ちのまま大阪芸術大学に入学しました。

練習嫌いのまま音大に入学するも、成績上位に!?

ところが、入学直後のピアノの実技試験で成績は思わぬ上位に!!!
当時、大阪芸術大学・演奏学科・ピアノ専攻に100人在籍中、上位8人までに入るという成績を修めたのでした。

練習嫌いな怠け者の私はビックリ!

大学の方針なのか、成績は常に貼り出し!
ピアノの成績はもちろんソルフェージュ(音楽の基礎、聴音など)や、声楽のクラス分けも成績順。
一目瞭然で誰がどんな成績なのかというのがわかってしまうという恐ろしい学校でした。

この恐ろしいシステムも私に功を奏したのでした。
ひとりっ子の私は、人と競争するといったことが苦手です。

え?成績張り出しは人との競争じゃないの?
人との競争が苦手な私に、なぜ功を奏したのか?

小さいころから、縄跳び大会で二重とびができたら賞状がもらえるとか、
水泳で100メートル泳げたら帽子に黒い線が付けられるとか、
こんなご褒美があると、俄然はりきって毎日飽きるほど縄跳びに励み、賞状をもらい、
水泳もなんとか必死で泳ぎ切り(溺れる寸前だったかも(笑))帽子に黒い線を獲得したのでした。

そんな単純な性格なので人と競争するというより、
とにかく成績一番がとりたくてピアノの練習に励みました。
なぜか勉強で一番になる!には反映されませんでしたが(笑)
(実はこの1つのことを続ける集中力はピアノの練習によるものだったことに後で気づくのです。)

感性で学ぶこと

そして、またまた人生の転機が訪れたのでした。

その頃、山田先生は以前ほど怖くはなくなっていました。
ある時、「ハンガリーから良いピアノの先生がいらっしゃることになったから、その先生におそわりなさい」
と言われました。

怠け者の私はとうとう破門されたか・・・・・と落ち込みましたが仕方ありません。

恐る恐るハンガリーの先生がいらっしゃるレッスン部屋のドアをノックしたのでした。

先生の名前は「アゴナシュ・ジョルジ先生」

今はもうお亡くなりになっていますが、アゴナシュ・ジョルジ先生は
リスト音楽院、モスクワ音楽院大学院を経てリスト音楽院で教鞭をとる、
在学中よりハンガリー国内外で演奏活動を行うほどのピアニストでした。

そこには私の鼻の3倍はあるであろうキリッとした目鼻立ちのハンサムな先生と
これまたとても美人で賢そうな日本人の奥様が
(実際すごい逸材で、私の人生の中で知り合った賢い人3本指に入る方でした)
いらっしゃいました。

先生は日本語は少しわかる程度で、ほとんどの会話は日本人の奥様を通じてでした。

奥様がいらっしゃる時のレッスンは言葉が通じるので不安はありませんでしたが、
ある日レッスン室のドアを開けて奥様がいらっしゃらないとわかった瞬間、

あ~どうしよう・・・

でもレッスンが始まり、その不安は一気に消え去りました。

先生が知ってる日本語を駆使し、身振り手振りでなんとか伝えようとしてくださったのです。

実際日本語でさっと言われるより、なんとか伝えようという時間のかかる手間が
かえって私の心に響き、音楽の情景がとてもよく伝わってきました。

例えば「朝日が差し込んでくるような感じ」
言葉が通じる日本人の先生ならここまでです。

が、

「アサ・ヒ・ノ・ヒカリ・マド・カーテン・アケル・ヒカリ・マブシイ・・・・・」

こんな感じで身振り手振りを加えながら言われると、一言一言にこちらの想像力が広がり、
より音楽へのイマジネーションが湧いたのです。

それと同時に、ピアノを弾くテクニック、脱力、腕、肩、背中、腹筋、足の使い方・・・・・
あらゆることを学びました。
これらは私にとって新鮮で、とても興味深いことばかりでした。
日本に居ながらにしてヨーロッパのレッスンを受けることができたのです。

今にして思えば、海外留学(当時は1ドル260円くらい)出来るような裕福な家庭でないのを山田先生はご存知で、
私に本場のピアノレッスンが勉強できる機会を与えてくださったのだと思います。

私ははじめてレッスンとはこういうものなのだ!と感じました。

このことがきっかけで私は再びピアノの練習を頑張れるようになりました。
といえば聞こえがいいですが、ここでもまた、

いかに短い練習時間で上達するのか・・・・・ばかり考えていました(笑)

でも後に、このことをアゴナシュ・ジョルジ先生にばらしたところ
「それは正解!」と言ってもらえました。

そしてピアノの成績も下がることもなく、一番は無理でしたが学年第三位という、
練習キライな私にしては上出来な成績で卒業できたのです。
成績優秀者しか出してもらえない卒業演奏会にも出させてもらえました。
(でも一位になりたかったな~)

大阪芸術大学卒業演奏会プログラム

コダーイの曲を弾きました

アゴナシュ・ジョルジ先生に出会って、真剣にピアノに向き合えたことは
今の私にとってかけがえのない財産となっています。

そして、私にピアノを教えてくださった多くの先生方、
貧しい家庭なのにピアノを習わせてくれた両親にはとても感謝しています。

両親の協力や今まで出会ったどの先生が欠けても、今の私はあり得ないのです。

そして、練習嫌いな私のこの性格は一生変わることが無く、
だからこそ、なかなか練習してこない生徒さんの気持ちも痛いほどわかるような気がします。

練習嫌いならそれでよし!でもピアノが好きな気持ちがあるなら
何とかして一緒にがんばって、弾けるようにしてあげよう。

私のモットーです。

今までたくさんの生徒さんと関わってきました。
ピアノを習うことで、ピアノの技術以外にもたくさんの効果があることが
身に染みて実感できるようになりました。

例えば、ピアノをすることで表現力が身につきます。
自分の体を使って音を出すことは、
日常生活で自分を表現することにもつながります。

また、集中力がつきます。
単純作業でも集中して繰り返し取り組むことができるので
ピアノ以外でも集中して物事に取り組むことができるようになります。
私が小学生の頃、ピアノ以外の縄跳びや水泳など、色々なことに集中できたのは
ピアノの影響が大きいです。当然、集中力がつくので勉強の効率も高まります。

特に小学低学年くらいまでの子は、単純作業や何度も同じことを繰り返すといった作業は
大人が思うほど苦痛ではありません。

そして、習得する力はものすごく速い!
1回できるようになると、もうずっと出来ます。後戻りはありません。

私は小さい頃にピアノを始めました。
練習嫌いは今でも変わりません。

そんな私だからこそ、ピアノをやってみたい、と思った子や
子供にピアノを習わせてあげたい、と少しでも思ったお母さまの
お手伝いがしたい、そしてピアノを弾ける素晴らしさを広めていきたい。

そんな思いで、ピアノ教室「スタジオメロディ」を開講したのでした。